ひな子のブログ

かわいい日常と備忘録

《再掲》「個性」それは私の敵である

こちらも再掲です。服が好きな女の子や、ちょっと変わり者扱いされがちな偏愛主義者に読んでほしい。

 

「個性」それは私の敵である
20151003
私ね、ものになりたいの。それをずうっと、願ってる。去年の冬見つけた黒の別珍素材のワンピース、一番好きな文庫本の活字、イタリア製折りたたみ式自転車、、、ね、素敵でしょ。
私は人や物や音楽、形として存在するものしないもの、息をするものしないものに関係なく執着する癖があるんです。私にはなんの取り柄もないけれど、執着心だけは人一倍強くて、いつまでもしつこく飽きないで見ている。
好きなものそのものになりたい、物理的には無理があるから私の中に取り込んで完璧に消化していたい。二つ年下の女の子にそんなところが素敵だと言われて、なんの取り柄もない私は嬉しくなりました。

私は決して「個性的だから」と理由で服を愛するわけでもないし書や音楽を嗜む訳でもない。人とちょっと違う事してやろうとか、目立ってやろうとか考えた事はなくて、変に注目されるのは不本意なんです。
例えばその対象が服であれば胸元のカッティングが素晴らしいとか凝ったレース刺繍とか、シルエットがこの上なく美しいとかリボンの素材が好きだとか、そういう理由があって、選んで、服を買う、着る。会う人会う人に上に書いたようなことを褒められることは期待してはいないけれど、こういうことを言われるとちゃんと見てくれているんだと嬉しく思うし、服が好きな人なんだなあと思います。
「個性的だ」というのは全くの的外れなんです。むしろ私が着ているのは可愛いの王道で古典だと思っています。

ask.fmにてよく質問されるのですが、私が考える可愛いは、ただひたすら「完璧」なんです。
可愛いというのは緻密な計算の上に成り立つもので超論理的なものだと思っています。「芸術は爆発だ」系のクリエイターさんやデザイナーさんもいると思うけど、解剖してみれば根拠理由の無い可愛いなんてこの世には存在しません。
アンバランスや混濁、こういう可愛いは私も大好きだけど絶妙なバランスが崩れたらおしまいじゃないですか。これも一種の完璧ですよね。
それから、大切なのは自覚です。適当に何かを作っちゃう人なんて、好きじゃないです。
「私はいま可愛い服を着ているんだ」と毎日思っています。完璧でいなければこう思う事も憚れますので、外に出るまでが大変(笑)

フォロワーの女の子へ、自分にとっての最上級の可愛いでいいじゃないですか。
私が私に服を選ぶんだから、似合っているなんてそんな事当たり前なんです(こう思えるって他人の評価に裏付けされた自信が少なからず存在するし、やっぱり私は恵まれているのかなあ)。
でも私はその小さな自己満足で終わらせないつもりで服を着ていたいんです。
分かる人にだけ分かってもらえればいいという考えで何かをつくっていたら、いつまでたっても多くの人に認められることはないと思うんです。自分の考える「最高」を、大衆という名の流されやすい審査員に認めてもらえるくらいの完璧な形で提供していたいのです。
「ちょっと変わっててなんか可愛い」なんてクソ、私には「可愛いから可愛い」それしか必要ない。だって私の可愛いは絶対的そして普遍的なものだと信じていますし、ちょっと行き過ぎちゃっているだけで、どう考えたって最強だから!
♡おわり