ひな子のブログ

かわいい日常と備忘録

ママ

私のママは、22歳(今の私の年)でパパと結婚して、23歳で私を産んだ。

パパが赤いスポーツカーに乗ってママの実家に結婚の挨拶をしに行ったエピソードにはすごく憧れちゃう。

ママもパパも仕事で全国を飛び回っていたから、私は1歳になる前から保育園に預けられ、祖父母に育てられた。

私は初孫だったから、若い祖父母ー当時おばあちゃんは44歳くらいだったんじゃないかな に大層可愛がられて、同じように親戚中からも愛されて育てられた。きれいな服を着て、好きなだけおもちゃや本を買い与えられて、めいっぱい愛してもらった。だから一度も寂しいと思った事はないし、私は今でも祖父母のことが大好きだ。

 

ママは(若さという点で)所謂ギャルママで、いつも私が生まれたその当時1990年代に大流行していたhysteric glamourで私とペアルックにしていた。当時の服はいくつかとってあるし、ピンクハウスのお洋服も所有している。

そのあと私が4歳になった時にママは仕事を辞め、それと同時に私は幼稚園に入れられた。

幼稚園のママ友たちはみんなママよりも年上でお上品。いつも毛皮にシャネルのバッグを持っているようなお母さんもいたような気もする。

そこでママは急にコンサバ系に転身し、私も当時大流行だったナルミヤ系のメゾピアノや、シャーリーテンプルを着せられた。私はこの時からお洋服に対する自我が芽生えた。当時既に黒地に白のフリル、ベロア素材のリボンが好きだった。きっとママは「もういい歳だから落ち着こう」と思ったのかもしれない。幼稚園で「舐められないように」という気持ちがあったんじゃないか。

遠足の時の写真を見ると、これまた当時流行っていたであろうディオールモノグラム柄の鞄をママと私がお揃いで持っていた。笑っちゃうのが、私のディオールのショルダーバッグの表面にはご丁寧に油性マジックで書いたお名前入り。笑

 

今のママはというと、よく言えば落ち着いた、私に言わせれば地味な服を好んで着ている。鞄はブランドものじゃなくて、職人手作りの籠バッグをコレクションしている。(お値段はもしかすると籠のほうが高価だ)

数年前までは趣味で知り合いの作家の作品を集めたセレクトショップをやっていたし、今は趣味で自らオーダーを受けてリネンの服を手作りして売っている。ママが作るセミオーダーの服にはそこそこお得意様が付いているようで、私はもっときちんとビジネスにすれば良いのにと思うのだけど、人を雇うつもりはないし趣味でやっていたいらしい。実家の離れはママの作業部屋になって、業務用のミシンがどーんと居座っている。

 

ママは可愛いものが好きだ。自ら選ぶ服は変わっても可愛いものが分かっているんだ。中一の時にお小遣いを握りしめて憧れのBABYでお買い物をした時も一生懸命私に似合う服を選んでくれたし、初めて私にMILKを買い与えてくれたのもママ。数年前までは必ずラフォーレのセールに一緒に行って、ジェーンマープルでお買い物した。

毎年夏になったらママと2人で浴衣を着て、かき氷を食べに行くのが大好きだ。(ママは和服もかなりの衣装持ち)

 

私が小学生だったとき、冬にミニスカートの下に黒のスパッツを履くか否か悩んでいたとき。ママに「お洒落は我慢よ」と言われて(健康を考えたら褒められたことではない)、それから私はずっと生脚だ。チビの私は黒のタイツが似合わないんだ。

当時言われた「お洒落は我慢」を私はずっと忘れないと思うし、ずっとずっと私の憧れの女性はママ。

 

今の私は正直言ってブランドものが好きだし、分かり易く可愛いものが好きだ。例えばリトルブラックドレス、ピンクの皮の鞄、リボンのカチューシャ、黒のリボンがついたハイヒール。

ママは私の買い物に何も口を出してこないし、若い女の子はそうじゃなくっちゃねと言わんばかりに新しいヴァレンティノのワンピースを褒めてくれた。

いつか私もブランドものに飽きて、もしかしたらママのようにリネンの服が好きになるのかもしれない。今はまだ想像できないけど…

ママがおばあちゃんになった時はどうだろう。もしかしたらフレンチリネンのワンピースや革の馴染んだ靴に飽きて、全身GUCCIのおばあちゃんになっているかもしれない。きっとそうなった時も、ママは私の一番の憧れ!

 

f:id:milksexpunk:20181020221914j:image

全く関係ないけど、お誕生日にお友達にもらった香水。可愛いボトル!ありがとう♡